一瞬、何だかわからなかった。
デュナンは立ち上がろうとした姿勢のまま、目を見開いてレイを凝視した。
が、その状態も長くは続かなかった。
突然、周囲一体に衝撃波の入り乱れた爆風が巻き起こった。
「ぅわっ!?」
『!!』
デュナンだけでなく、魔族までもが驚愕の色に染まる。
次の瞬間。
突然、黒い棒状のものが宙に弾けとんだ。
レイを掴んでいた、魔族の腕だった。
『何・・・!?』
あまりに突然すぎて状況に追いつけず、魔族はただ短く叫ぶ。
その背後に、小柄な影が落ちた。
レイだ。
その両手が印を組み、魔族に向かって突き出される。
彼の手中から紅蓮の炎が巻き起こり、放たれた。
『・・・チッ』
舌打ちし、結界を張って回避する。―――だが、炎は結界を突き破り、魔族を襲った。
『グァアッ!!』
燃え盛る灼熱の炎に飲まれ、魔族の絶叫が響く。すぐさま逃れたが、その時にはレイの手が別の印を組んでいた。
デュナンが息を飲む。
見たことのない、禍々しい印。
レイの声が、静かに響いた。
「【古代闇魔術第六項――――エンドレス=ディスペアー】」
刹那。
レイの足元から漆黒の闇が巻き起こった。
驚愕に、魔族の、そしてデュナンの表情が凍りつく。
古代闇魔術――――300年前に封じられ、禁術と蔑まれてきた闇の魔術。
使える者はいないはずだった。レイもまた然り。彼も使えないはずだった。
だが考える間もなく、その闇は魔族に踊りかかった。
対し、とっさに風を起こして振り払おうと印を組む。だが古の大魔法に敵うはずが無かった。
禍々しい絶叫が、脳裏に響き渡った。思わずデュナンは両手で頭を抱えた。
聞いただけでこっちまで叫びそうになるような、苦痛にのまれた声。
それが聞こえているのか聞こえていないのか、レイはその場から動かないまま右手を掲げた。
その手に、細く闇が具現化されていく。
それを見た瞬間、今度こそデュナンは叫んだ。
掲げられたレイの手に、闇の剣――――――――ダークネスソードが握られていた。
それから数秒といらなかった。
流れるように一閃された魔剣は、それを覆い尽くす闇ごと、魔族を斬り払った。
魔族の身体は、そこで消滅した。
「・・・うそ・・・だろぉ、レイ・・・」
呆然と座り込んだまま、デュナンはポツリと呟いた。それだけで精一杯だった。
場の状況に思考が追いつくことが出来ず、呆然とレイの後姿を見詰める。
しかし、それからいくらもたたず彼は駆け出すことになった。
突然、レイの膝が地面に落ちた。その足元にはまだ、霧のような闇が渦巻いている。
両手をついてうずくまったレイの背を、その霧が這い上がっていった。
「え、待・・・っレイ!!」
とっさに駆け出し、その場から引き剥がすようにしてレイを担ぎ上げる。
するとそれを追うように、黒い霧はデュナンの足に絡みついてきた。
「げっうそ!!何だよこれ!?敵味方認識できんわけ!?ちょ、レイお前っこれ出したんだったら片付け・・・」
だが途中でデュナンは言葉をきった。
レイはひどく苦しげに、表情を歪ませていた。
元々青白い顔が、透けるような白になっている。
ひどく汗をかいているにもかかわらず、身体は異様なほどに冷たい。
それに――――
「魔力が・・・制御できてない」
レイの身体から魔力―――マナが放出されっぱなしになっている。
黒魔族は体内のマナが失われ尽くした時、その生命を脅かされる。止めなければ危険だ。
デュナンはとりあえず足元の霧を蹴散らし、(ほとんど消えかかっていたので執着力はなかった)
精霊の樹の根元にレイを引きずっていった。
そのまま樹に押し付けるようにして、レイの身体を寄りかからせる。レイの表情はまだ険しかった。
歯を食いしばって苦痛に耐えようとしている。
何が彼にそうさせているのか、デュナンには見当がつかなかった。
魔力が制御できていないから、というだけではなさそうだ。
デュナンは腕を伸ばし、レイを抱きしめた。
どうすればいいのか何もわからなかったが、苦しむ親友をただ見ているだけなど、耐えられることではなかった。
「レイ、もう大丈夫だから・・・大丈夫・・・っ」
ささやくように、また自分に言い聞かせるように呟く。
どうしようもない無力感に襲われた。
しばらくして、レイの身体から緊張が抜けていった。
同時にマナの放出がおさまり始め、途切れ途切れになっていた呼吸音が正常化していく。
やがて完全に落ち着き、デュナンはほっとして腕を解いた。
大丈夫か、と言おうとして顔を覗き込み、やめる。
レイの意識は無かった。
静かな寝息だけが、規則的に動いている。
「・・・こ、コイツ・・・人に散々心配させといて・・・・・」
信じらんねぇ、とデュナンは頭を押さえた。だがその表情には泣きのほうが強い泣き笑いが表れていた。
とりあえず村に戻ろう。傷の手当てもしなきゃいけないし、魔族が現れたことも族長に伝えなければならない。
しかしデュナンもまた、猛烈な眠気に襲われた。
視界がぼやけ、上手く平衡感覚が取れていないかのように重心がぐらつく。
よく考えたら、激しい戦闘を繰り広げた上、この傷の量。すっかり忘れていたが大分出血もしている。
(そりゃ慣れねぇことすりゃぁ、反動もくるわなぁ・・・)
レイを担ごうと奮闘したが結局だめで、デュナンはレイの隣りで樹に背を預けた。
立ち上がってもまっすぐ歩けそうに無い。
(少しだけ・・・少しだけ、休ませて)
ほどけた銀髪が風に遊ばれ、うっとうしい。
口元にこびりついた血はすっかり乾ききって傷を塞いでいる。
木漏れ日を仰ぎ深呼吸するように肺に空気を送り込んだら、体から極度の緊張がとけ、一気に疲れが回ってきた。
それからあとのことは、覚えていない。
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